雫井脩介さんの小説「クロコダイル・ティアーズ」の感想です。
息子の嫁に疑心暗鬼を生じたことで起こる、静かながらドロドロのサスペンスです。
同じ家に暮らす家や近しい人たちの視点から、ヒロインの姿をあぶり出していきます。
タイトルでもある「クロコダイル・ティアーズ」、ワニの涙とは?
- 作者:雫井脩介
- 対象:中学生~
- 性的な描写なし
- グロテスクな描写ややあり
- 2022年9月に文藝春秋社より刊行
- 第168回直木賞・候補作
「クロコダイル・ティアーズ」について
「クロコダイル・ティアーズ」は雫井脩介さんの小説です。
全く前情報のない状態で読んだのですが、面白すぎて一気読みしてしまった作品です。
↓にあらすじを掲載しますが、気になる方は情報を一切入れずに読むことをオススメします。
そんな「クロコダイル・ティアーズ」のあらすじです。
【第168回 直木賞候補作】
ベストセラー作家、雫井脩介による「究極のサスペンス」この美しき妻は、夫の殺害を企んだのか。
息子を殺害した犯人は、嫁である想代子のかつての恋人。被告となった男は、裁判で「想代子から『夫殺し』を依頼された」と主張する。犯人の一言で、残された家族の間に、疑念が広がってしまう。「息子を殺したのは、あの子よ」
「馬鹿を言うな。俺たちは家族じゃないか」未亡人となった想代子を疑う母親と、信じたい父親。
クロコダイル・ティアーズ―Amazon.co.jp
家族にまつわる「疑心暗鬼の闇」を描く、静謐で濃密なサスペンスが誕生!
「クロコダイル・ティアーズ」は、冒頭から終盤まで、ずっと不穏な雰囲気が漂う小説でした。
完璧そうに見えて、どこかヒビが入った感覚というのでしょうか。
まあ、ある意味、それはそれで普通の家族らしいと言えます。
ただ1章の末尾にある言葉がものすごく不穏で『絶対にこの先、この家族壊れるだろう!』と思わずにはいられませんでした。
そして、その予想はすぐに的中します。
陶磁器店を営む久野貞彦・暁美夫婦の一人息子にして跡取りであった康平の死。
しかも、康平を殺害したのは、康平の妻・想代子の元恋人でした。
康平と想代子の間に幼い息子・那由他がいたこともあり、想代子と那由他は貞彦・暁美とともに暮らすことになります。
老夫婦と殺害された息子の嫁、そしてその幼い息子。
さらに、陶磁器店で所有するビルでカフェを営む暁美の姉・東子(はるこ)とその夫・辰也の夫婦も加わり、家族間でのサスペンスが繰り広げられます。
「クロコダイル・ティアーズ」感想・あらすじ
「クロコダイル・ティアーズ」の感想・あらすじです。
男女で違いすぎる見え方
「クロコダイル・ティアーズ」は、主人公である想代子を、その義理の両親である貞彦と暁美、そして暁美の姉・東子という三人の視点から描くサスペンスです。
違う人間の視点なので、当然、人によって想代子の見え方は変わります。
しかし、それでも貞彦と暁美・東子という男女の見え方の違いは面白かったです。
わたしは女なので、どちらかというと暁美・東子寄り。
想代子はずっと怪しく感じられますし、気に入らない気持ちも理解できます。
しかし一方で、読者でもあるので、貞彦の想代子を(無意識的に)庇う気持ちも分かります。
その三者の視点から描かれていく想代子は、読者にとってもミステリアスな存在であり続けました。
サスペンスのヒロインとしては完璧な存在と言えますね。
タイトル「クロコダイル・ティアーズ」の意味
この小説のタイトル「クロコダイル・ティアーズ」は直訳すると『ワニの涙』。
日本人には聞き慣れない言葉ですが、ヨーロッパ圏では『嘘泣き』という意味で知られています。
ワニは獲物を食べる際に涙を流すという言い伝えによるもので、その矛盾した行為が嘘泣きと言われるように。
ただ、捕食中にワニが涙を流すのは、陸に上がって乾いた目を潤すためや余分な塩分を排出するため、つまり生理現象であると言われています。
この言葉の意味は小説「クロコダイル・ティアーズ」でも説明されています。
夫である康平の死の際、涙を流すふりをしながら実際には涙が出ていなかった想代子。
その様子を見咎められたことで、暁美や東子から疑われることになりました。
想代子の『嘘泣き』は本当に嘘泣きだったのか?
こういった疑念は、一度頭に浮かんでしまうと完全に払拭することはできないもの。
さらに、康平を殺害した隈本の裁判において、隈本が発した言葉により疑念は深まります。
ただでさえ複雑な嫁姑関係なのに、どんどん泥沼にはまっていく。
大きな事件が起こるわけでもないのに、ずっとピリピリした不穏な雰囲気のまま続くのは、読んでいる分には楽しかったです。
心情を見せないヒロインの魅力
「クロコダイル・ティアーズ」はヒロイン・想代子を、想代子の周りの人たちから描き出すストーリーです。
物語の中心にいる想代子の心情は(終盤を除き)描かれません。
語り手である貞彦・暁美・東子の三者がそれぞれの見方をし、読者はその見方を通してしか想代子を見ることができません。
第三者の視点から見られないので、想代子はどんどんミステリアスに、どんどん怪しく見えてきます。
しかし、わたしにはミステリアスが深まれば深まるほど、想代子は魅力的に感じてしまいました。
基本的にそつなく何でもこなし、感情的にもならない想代子。
その様子を有能と感じるか、はたまた機械的で人間味がないと感じるかは人それぞれ。
読む人によって想代子への印象が大きく変わるであろう、ある意味、不思議な小説だったかもしれません。
静謐なサスペンス、とあらすじに書かれているように、この「クロコダイル・ティアーズ」は静かにサスペンスが繰り広げられます。
そして、やはりあらすじに書かれている通り、非常に濃密なサスペンスです。
家族間という小さなコミュニティで起こるサスペンスは何とドロドロで面白いのかと改めて感じました。
自分のみに置き換えたら最悪ですが・・・。
「クロコダイル・ティアーズ」の結末は、実は一番怖い結末なのではないか?と思えるものでした。
呆気にとられるというか、脱力というか、末恐ろしいというか。
何とも言いがたいその結末は、ぜひとも読んで確かめていただきたいと思います。
ここまで「クロコダイル・ティアーズ」の感想でした。
【ネタバレあり】「クロコダイル・ティアーズ」の感想
この「クロコダイル・ティアーズ」は、想代子を軸にして、みんな想代子に振り回されていただけでした。
想代子自身は何もしていない。
勝手に周りが邪推し、疑い、自滅していった。
終盤、最後の18章において初めて想代子の胸の内が明かされます。
その内容は穏やかながらも怖すぎました・・・。
想代子はただ懸命に生きていただけなのに、周りが勝手に潰れていく。
その自滅してしまった相手に対して、想代子は優しく手を差し伸べる。
相手に疑心暗鬼を植え付ける才能と言うべきか、そんな印象でした。
悪意がないというのは一番怖いですね。
そして、まっすぐに努力を続けた想代子は、陶磁器店を引き継ぎ、さらに店を拡張し、跡取りである那由他もしっかり育て上げています。
郷里にいた母親を呼び寄せる親孝行ぶりも見せます。
言い方は悪いですが、完全に家を乗っ取りました。
何も悪いことをしていないのに、ずっと小説を読んでくると、なぜかとっても後味が悪い、不思議な感覚でした。
ただ、やはり想代子は魅力的ではありました。