辻村深月さんの小説「琥珀の夏」の感想です。
10才だった30年前に出会った2人の少女。
その2人の少女の運命が30年越しに交錯します。
友情や親子について考えさせられる、感動作です。
- 作者:辻村深月
- 対象:中学生
- エログロ描写なし
- 2021年6月に文藝春秋より刊行
- 2023年9月に文庫化
「琥珀の夏」について
「琥珀の夏」は辻村深月さんの小説です。
40才の現在と、10才だった30年前。
そんな2つの時間が入り交じりつつ、ある事件の真相に迫っていくというストーリーです。
そんな「琥珀の夏」のあらすじを掲載します。
大人になる途中で、私たちが取りこぼし、忘れてしまったものは、どうなるんだろう――。封じられた時間のなかに取り残されたあの子は、どこへ行ってしまったんだろう。
かつてカルトと批判された〈ミライの学校〉の敷地から発見された子どもの白骨死体。弁護士の法子は、遺体が自分の知る少女のものではないかと胸騒ぎをおぼえる。小学生の頃に参加した〈ミライの学校〉の夏合宿。そこには自主性を育てるために親と離れて共同生活を送る子どもたちがいて、学校ではうまくやれない法子も、合宿では「ずっと友達」と言ってくれる少女に出会えたのだった。もし、あの子が死んでいたのだとしたら……。
30年前の記憶の扉が開き、幼い日の友情と罪があふれだす。圧巻の最終章に涙が込み上げる、辻村深月の新たなる代表作。
琥珀の夏―Amazon.co.jp
サスペンスっぽいあらすじですが、内容は女性同士の人間関係が中心。
小学校高学年の少女同士の美しい友情や、年上の少年への淡い恋心の愛おしさ。
そして辻村深月さんらしい、思春期の少女のややこしい関係性も鮮やかに描かれています。
「琥珀の夏」感想・あらすじ
「琥珀の夏」の感想・あらすじです。
4番目の項目だけ「ネタバレあり」の感想となります。ご注意ください。
思い出は美しいままの方がよかった?
主人公の法子(ノリコ)は40才で弁護士として働く女性です。
夫と3才の娘と平穏な家庭を築いていた法子は、ある日<ミライの学校>から子どもの白骨死体が発見されたというニュースを見て、強い衝撃を受けます。
その<ミライの学校>は法子が小学生の頃に合宿として訪れたことがある場所でした。
そしてその直後、法子が勤める法律事務所に<ミライの学校>にいた孫の消息を調べて欲しい、という老婦人が訪れ、法子は再び<ミライの学校>と接点を持つことになります。
法子にとって、<ミライの学校>の思い出は美しいものでした。
<ミライの学校>で共同生活をして暮らす子どもたちとの交流や、豊かな自然とのふれあい。
しかし、ニュースを観るまで、法子は<ミライの学校>のことをすっかり忘れていました。
30年という月日の残酷さというべきでしょうか。
しかし、その間に学校の卒業・就職・結婚・出産などを経験した法子にとって30年前の美しい思い出はわざわざ思い出す必要のないものだったと思います。
わざわざ思い出すことはない美しい思い出。
自分と同じ年頃の少女の白骨死体の発見により、グロテスクな状態で現代に引っ張り上げられるのは法子ではなくても居心地の悪さを感じました。
また、法子にとって<ミライの学校>の思い出が良いものばかりではない、というのもリアルだなと思います。
自分で染めたスカートがゴワゴワしていたとか、合宿の子たちの普通なら目が届かないところがボロボロだったとか。
そういう微妙な思い出を鮮明に思い出せてしまうのはリアルです。
特に、わたしも法子のような性格なので、知らない子どもたちと一緒くたにされることへの戸惑いや、仲間はずれにされることの恐怖は痛いくらいに分かります。
そんな状況で目の前に現れたミカを法子が救世主のように感じ、大切な思い出として心にとどめていたのは自然です。
だからこそ、ミカの存在を「美しい思い出」のままでしておきたかった。
その法子の無意識の傲慢さも理解できるのが辛いところです。
<ミライの学校>へのなんとも言えない感覚
法子が合宿に訪れていた<ミライの学校>は、高尚な理念に賛同した親とその子どもが離ればなれになり、共同生活を送るという団体でした。
「学校」という名前は付いているものの、学校法人には認定されていない、コミューンのような施設です。
この<ミライの学校>ですが、読めば読むほどなんとも言えない微妙な気持ちになります。
子どもたちの力を信じ、自分の言葉で話す能力を身に付けさせるための『問答』。
考え方は素晴らしいなとは感じるものの、どこか薄ら寒い気持ちになるのも否定できません。
そのあまり肯定的になれない理由は『問答』のテーマが、キレイで耳触りの良いものばかりだったからでしょうか。
また、自主性を育むために親と離れて暮らすという理念も、子どもにとっては切なかったです。
小学校に入る前の幼いミカが両親といっしょに暮らしたいとお願いをする場面は、胸を締め付けられる思いで読みました。
小説の中でも何度も問いかけられていますが、子どもにとって一番大切なもの、がおざなりになっていると思わずにいられないのが<ミライの学校>に感じるモヤモヤなのだろうと思います。
小学生女子の安定的な面倒臭さ
「琥珀の夏」に出てくる小学生女子の関係性の面倒臭さは、自分の当時を思い出し、非常にイヤな気分になりました。(一応、褒めています)
辻村さんに限らず、特に女性作家さんが描く「小学生女子の関係性」は、ご自身で経験してきたからか、気分が悪くなるほどに生々しくグロテスクで最悪です。(良い意味で)
「琥珀の夏」ではイジメのような直接的なシーンはないものの、陰口やあの微妙な空気感などがリアルでした。
ただ、小学生だった当時は分からなかったものの、大人になった今では、陰口を叩く子の気持ちも理解できないわけではないです。
この「琥珀の夏」の<ミライの学校>で法子が経験した嫌な思い出。
そして、その嫌な思い出を植え付けた少女の気持ちも少なからず理解できます。
だからこそ、腹立たしいと感じるのも事実ですが。
また、この「琥珀の夏」では10才だった少女たちが、30年の時を経て、40才となって再登場します。
その1人1人の変わり方がグッともゾッとも感じられて味わい深かったです。
夏の思い出を「琥珀」のように美しい姿で閉じ込めた法子。
その美しい「琥珀の夏」の思い出が現在に姿を現したとき、思い出は美しいままではいられませんでした。
しかし、その過去でしかなかった思い出が、未来へとつながったラストには感動しました。
ここまで「琥珀の夏」の感想でした。
<ネタバレあり>いろいろな『親子』が描かれる
「琥珀の夏」の真のテーマは『親子のつながり』だったのではと思います。
親と子を引き離し生活させる<ミライの学校>。
その環境に子どもたちは順応しているものの、さみしさを消すことはできませんでした。
幼いミカの泉でのお願いは、真に迫っていて胸を締め付けられます。
そんな思いをさせてまで、親と子を引き離すことに高尚な教育もへったくれもない。
大人になった法子はハッキリと自覚しています。
それは、法子が両親から愛情を受け、まっすぐに育ったことの証明とも言えます。
法子と法子の母親との描写は、この「琥珀の夏」で唯一と言えるほど温かいシーンだったと思います。
また、幼い頃に寂しい思いをしたミカが、自分の子どもにも同じ思いをさせているその理由があまりにも辛かったです。
端的に言えば『親になる自信がない』。
ミカは、自分の親が自分を育てる自信がなかったから<ミライの学校>へ入れたと思い至り、自分もまた親になる自信がないことに気付きます。
さらに、ミカにはヒサノを死に追いやってしまったという<ミライの学校>に縛られ続ける理由もありました。
ミカの人生そのものでもあり、呪いでもある<ミライの学校>。
ラストシーンでそんな<ミライの学校>から少しでも解き放たれた様子だったのが救いでした。
この「琥珀の夏」の登場人物に完全な悪人は1人もいません。
特に<ミライの学校>の大人たちは、自分たちが子どもたちの<ミライ>のためにとても正しい良いことをしている、と信じて疑っていません。
そこが<ミライの学校>を宗教らしく感じてしまうところでもあり、良いことをしているはずなのに不気味に感じる理由だったのでしょう。
ただ、最終的にミカへの刷り込みや亡くなったヒサノへの対応から、この<ミライの学校>のことは素直に嫌いになれます。
幼い頃にキレイなものの汚い裏面を目の当たりにしたのに、だからこそ縛られてしまったミカが不憫でした。