柚木麻子さんの小説「ナイルパーチの女子会」の感想です。
女性同士の友情、がテーマの小説ですが、その中身は想像を絶する毒々しさ。
劇薬なのに目が離せない『女友達』同士の関係の結末は必見です。
- 作者:柚木麻子
- 対象:中学生~
- 性的な描写あり
- グロテスクな描写あり
- 相当メンタルが抉られます
- 2015年3月に文藝春秋より刊行
- 2018年2月に文庫化
- 2021年にBSテレビ東京でドラマ化
- 第28回山本周五郎賞・受賞
- 第153回直木三十五賞・候補作
- 第3回高校生直木賞・受賞
「ナイルパーチの女子会」あらすじ
「ナイルパーチの女子会」は柚木麻子さんの小説です。
この小説は(良い意味で)劇薬でした・・・。
爽やかな本の装丁からは想像できないほどの毒々しさに精神はズタボロですが、精神をボロ雑巾にしても面白い小説が読みたいというチャレンジャーには是非ともオススメしたい小説でもあります。
そんな「ナイルパーチの女子会」のあらすじを掲載します。
「心がえぐられすぎてつらい」
第二十八回山本周五郎賞&第三回高校生直木賞を受賞!
友情とは何かを描いた問題作。商社で働く志村栄利子は愛読していた主婦ブロガーの丸尾翔子と出会い意気投合。
ナイルパーチの女子会―Amazon.co.jp
だが他人との距離感をうまくつかめない彼女をやがて翔子は拒否。
執着する栄利子は悩みを相談した同僚の男と寝たことが婚約者の派遣女子・高杉真織にばれ、とんでもない約束をさせられてしまう。
一方、翔子も実家に問題を抱え――。
主人公は2人の30歳女性。
1人は大手商社で働く志村栄利子。
高学歴で、父親と同じ会社に入社した、いわゆるキャリアウーマンです。
もう1人は主婦で人気ブロガーの丸尾翔子。
田舎出身でスーパーの店長として勤める夫と2人暮らしです。
ハードワークをバリバリこなす栄利子の唯一の息抜きは、翔子が運営するブログを読むことでした。
小説「ナイルパーチの女子会」は、そんな栄利子と翔子が偶然出会うところから始まります。
「ナイルパーチの女子会」のテーマは『女の友情』、だと思います。
ただ、一口に『女の友情』と言っても、その後ろに続くのは『難しさ』『面倒臭さ』『厄介さ』などあまり美しいものではありません。
20年以上、女として生きてきたわたしには、この小説ほどではないものの『女の友情』のややこしさは理解できるものでした。
しかし、小説内である男性がひたすら『女の敵は女』『女は怖い』『女性同士に友情は存在しない』と語っていますが、それには同意できないとも思いました。
(↑の男性は最終的にとんでもない目に遭うので、胸がすく思いになりました。)
ただ、女性間に友情は存在するものの、たった一言・1つの行動で関係が味方から敵になることはあると思います。
そのため、この「ナイルパーチの女子会」にはやや極端だと思う描写が多々あるものの、今まで無意識に理解していた女同士の面倒臭さがしっかり体中に染み込んでいく感覚になるのも事実でした。
そういった意味でも、やはり毒々しい小説だったと思います。
タイトル『ナイルパーチ』とは?
ナイルパーチはスズキ目アカメ科に属する魚類です。
一見何の変哲もない淡水魚ですね。
ですが、このナイルパーチは非情に貪食で、外来魚として放流された湖の生態系をことごとく破壊してしまう凶暴さを持ち合わせています。
日本でも環境省が要注意外来生物に指定するほど、その被害は深刻です。
小説内で「ナイルパーチは元住んでいた水の中から出されなければ、自らの凶暴性に気付くことはなかったのに」というニュアンスのセリフがありました。
この小説はまさに↑の悲劇を描いているので、最初の方に投げかけられたこのセリフが後半になるにつれ染み入ってきます・・・。
2021年に連続ドラマ化
「ナイルパーチの女子会」は2021年にBSテレビ東京で連続ドラマ化されていました。
主演は水川あさみさん、共演は山田真歩さんです。
この小説をどうドラマ化したのか、少し気になりますね。
「ナイルパーチの女子会」感想
正直↑のあらすじでは、この「ナイルパーチの女子会」の毒はほぼ伝わりません。
思い返せば、最初の方から「あれっ?」と思う場面はあったのですが、その違和感が途中からむき出しに。
そこからは、もう完全にホラーです。
ホラー小説ではないのに、こんなに怖い小説を読んだのは久々です。
2022年の新年1冊目に読む作品ではないと思いましたが、結末はそれまでの展開が嘘のように清々しい幕引きでした。
ですので、途中まで読んで怯えている方がいらっしゃれば「ラストは救いがありますよ」と優しくお声がけしたい心境でもあります。
(何とか、ギリギリ)ハッピーエンドで終わっているので、後味は悪くないのが特長です。
極端?に思えない人物造形
「ナイルパーチの女子会」の登場人物は、普通に読んでいると常軌を逸している風にしか思えない人たちがたくさん登場するのが1つの特徴です。
しかし『常軌を逸している』『狂っている』と一言では片付けられない、奇妙なリアリティがあるのが怖かったです。
この「ナイルパーチの女子会」の人物にリアリティを感じる人は少ないのかもしれません。
実際、極端に描かれている部分もあるのだと思いますが、わたしには極端に感じませんでした。
「共感できる」ではなく「共感したい」
栄利子は翔子のブログに「共感した」から翔子に興味を持ちました。
何にも縛られない自由な生活に対する憧れ、そして共感。
しかし、実際に会った翔子は栄利子の理想とは少し違っていました。
栄利子はその少しが許せず、翔子を自分が「共感できる」理想の翔子に育てようとし始めます。
それがこの「ナイルパーチの女子会」の恐ろしい部分でしょう。
けれども、そんな栄利子まではいかなくとも、他人への理想と現実にショックを受けるという経験は誰にでもあることなのだろうと思います。
その理想と現実のギャップを受け入れられないからこそ、栄利子の翔子への思いは狂気じみたものに。
自分が見たいものしか見たくない。共感したいものにしか共感したくない。共感できなければ、共感できるように変えるまで。
この栄利子の思考回路はけっこう恐ろしいです。
けれども、自分に理解できないもの・共感できないものを否定し闇雲に批判する言動は、世の中にあふれています。
そう考えると、栄利子の言動は常軌を逸しているものの、思考回路そのものはありふれたものと考えてしまいます。
また、この栄利子の言動は、わたしたち読者に対する挑戦にも感じました。
登場人物の言動が理解できない・共感できない小説を否定し批判するのか。そんな読者の本質すら試されているのではと案じてしまいました。
逃げていたものに向き合う瞬間
「ナイルパーチの女子会」の主人公・栄利子と翔子はある意味対照的な存在です。
生まれ育った家から出ずにそのまま大人になった栄利子。
生まれ育った家から逃げるように出てきた翔子。
栄利子は家の居心地が良く、出る必要がありませんでした。
しかし、出ようと思えばいくらでも出よう環境にいたにも関わらず、家から出なかった人間でもありました。
これは家から出るという選択から「逃げた」ことになるのだと思います。
一方、翔子の生家は母親が家を出てから崩壊し、翔子本人も逃げるように家を出た過去を持ちます。
家が崩壊する原因の一端を担いつつ、何もせず宙ぶらりんのまま放置した翔子。
そのためか家から完全に逃げられず、どっちつかずで生きていました。
「ナイルパーチの女子会」は、そんな2人が逃げていたものから真っ向から向き合うことになる瞬間を描いた小説でもあったのだろうと感じます。
隣の芝生は青いのか?
どんなものでも、他人のものならよく見える。
そんな意味の「隣の芝生は青い」ということわざがあります。
栄利子も翔子もお互いがお互いの生活に自分にはない理想を勝手に見出し、その齟齬に勝手に失望。
さらに栄利子の暴走により最悪な状態に陥っていきます。
ただ、この「隣の芝生は青い」は栄利子・翔子間だけでなく、どの登場人物の関係性においても当てはまるとも感じました。
栄利子の同僚である杉下や真織が栄利子に対して「隣の芝生は青い」と思っていなかったとは思えません。
反対に栄利子もその2人に対して「隣の芝生は青い」と感じていたとも思います。
一番分かりやすいのは高校時代の栄利子の幼馴染み・圭子に対する思いですが、その時の感情を整理できないまま大人になってしまったが故の狂気だと思うと切なさすら感じます。
また、栄利子は翔子と関係が上手くいかなくなればなるほど、会社の同僚や上司との関係も壊れていきます。
1つが失敗すると芋づる式にすべてが上手くいかなくなる。
この完璧主義のほころびのような描写はなかなかゾッとしました。
わたし自身の性格上、栄利子の性格は大部分で理解できてしまいます。
なので、自分に照らし合わせると薄ら寒くなる恐怖感がありました。
普通に生きることの難しさ
栄利子の幼馴染みである圭子は、一見だらしない生活をしているものの、この「ナイルパーチの女子会」において冷静といえる数少ない人物でした。
だからこそ栄利子の餌食になってしまったのだと思うと苦い気持ちになります。
また、人間味あふれるキャラクターとして真織の存在も大きいです。
ただあそこまで強くなれないと栄利子に勝てないと思うと、やはり苦々しいなとも感じました。
色々な意味で、翔子は人間味が強いキャラクターだと思います。
人間の弱さ、いやらしさ、卑屈さ、諦めなど負の感情がむき出しになっていく様は不快ですが、翔子を不快に思うのは自分にも当てはまる部分があるから。
そう考えてしまうと、翔子を否定できないのも事実です。
みんな普通に生きたいだけなのに、どうして普通に生きられないのか。
「ナイルパーチの女子会」は、そんな叫びが聞こえてくるような小説でした。