柚木麻子さんの小説「さらさら流る」の感想です。
18歳のピュアな思い出と、その10年後に降りかかる悪夢のような現実。
たった1枚の画像が引き起こした悲劇をきっかけに、かつての恋人たちの運命が再び交錯してしまいます。
女性だけでなく、男性にも読んで欲しい、社会問題に真っ向から切り込む意欲作でした。
- 作者:柚木麻子
- 対象:中学生~
- 性的な描写あり
- グロテスクな描写はなし
- 2017年8月に双葉社より刊行
- 2020年9月に文庫化
「さらさら流る」あらすじ・感想
「さらさら流(なが)る」は柚木麻子さんの小説です。
表紙とタイトルの爽やかさから、勝手にピュアな恋愛小説だと思って手に取ったこの1冊。
しかし、この「さらさら流る」はずっしりハードな恋愛小説でした。
どちらかと言えば女性向けの小説かもしれませんが、ぜひとも男性に読んで欲しいと思える1冊でした。
そんな「さらさら流る」のあらすじを掲載します。
あの人の中には、淀んだ流れがあった――。28歳の井出菫は、かつて恋人に撮影を許した裸の写真が、ネットにアップされていることを偶然発見する。恋人の名は光晴といった。光晴はおどけたりして仲間内では明るく振る舞うものの、どこかそれに無理を感じさせる、ミステリアスな危うさを持っていた。しかし、なぜ6年も経って、この写真が出回るのか。菫は友人の協力も借りて調べながら、光晴との付き合いを思い起こす。飲み会の帰りに渋谷から暗渠をたどって帰った夜が初めて意識した時だったな……。菫の懊悩と不安を追いかけながら、魂の再生を問う感動長編。
さらさら流る―Amazon.co.jp
小説では、主人公・井出菫(いで・すみれ)の18歳、28歳の時間が交互に描かれていきます。
冒頭は18歳。
大学に入学したばかりの菫が、同じサークルの同級生・垂井光晴(たるい・みつはる)と深夜の東京を暗渠沿いに歩き、菫の家を目指すシーンから始まります。
初めての朝帰り、初めての男の子とのデートに緊張しながらも胸躍る菫の描写は可愛らしかったです。
一方、菫と深夜の散歩をすることになった光晴はクールでどこか影のある印象。
ピュアな菫がいかにも恋に落ちてしまいそうな少年でした。
そんな2人の深夜の散歩は途中で遮られ、いきなり時間は10年後・28歳になった菫に飛びます。
大手カフェチェーンに就職し順調に仕事をこなしてきた菫。
まっすぐに何も後ろ暗いことなく生きてきた菫は、ある日仕事がきっかけで自分の裸の画像がネット上に出回っている光景を目にしてしまいます。
その画像は、かつて菫が恋人だった光晴に撮らせたものでした。
2人の空白の時間
爽やかな青春小説のような出会いから一気にどん底に突き落とされるような展開は、非情に心臓に悪かったです。
深夜の散歩から「ああ、この2人はこの後交際して、ラブラブになっていくのだろうな」と暢気に思っていたところ、いきなり横っ面を殴られた感覚でした。
小説で描かれるのは、出会ってから付き合い始める寸前の18歳、そしてその10年後ですでに別れている28歳の菫と光晴の様子。
さらに、小説の核となる、光晴が菫の裸の写真を撮る22歳のシーンも明確に描写はあります。
けれども、それ以外の時期はほぼ描写がありません。
おそらく、菫と光晴には交際期間中に幸せな時期もあったのでしょう。
しかしその描写は一切なく「交際直前→破局寸前」のみしか描かれていません。
また「破局後→菫が自分の裸の画像を発見する」の間も説明が少し入る程度で、ほぼ空白です。
ただ、書かれていない時間が多いにも関わらず、どんな交際をしていたか、破局後にどんな生活を送っていたかが鮮明に思い浮かべることができます。
逆に、書かないからこそくっきりと浮かび上がってくる、そんな感じでした。
救いとなる存在
自分の裸の画像を見つけてしまい、菫の世界は一変します。
それまで何とも思っていなかった男性からの視線に恐怖を感じるようになり、夜も寝付けなくなります。
そんな傷ついた菫を救ったのは中学時代からの親友である百合でした。
百合は、菫も思っていますが、菫と正反対のタイプ。
サバサバした芸術家肌の百合は、菫の窮地を現実的にも精神的にも救っていきます。
この百合の存在は「さらさら流る」全体でも大きな救いです。
誰よりも菫のことを思い、行動できる。
こんな素晴らしい親友を持っている、というのが菫の最大の強さなのだろうと感じました。
そして、小説の中で百合は最後まで一貫して菫の味方でいたことも、何より心強かったです。
また、親友の百合だけでなく家族も菫の大きな救いとなりました。
菫の窮地を受け止め、支え続けた両親・弟の存在のありがたみが、菫ではないわたしでも嬉しかったです。
特に父親が光晴と対峙するシーンは胸が熱くなりました。
家族からも親友からも愛されて生きてきた菫の強さ。
その強さを光晴が恨めしくも疎ましくもうらやましくもあったのが、わたしにもよく分かります。
彼の人間らしい愚かしさ
菫の裸の画像を撮り、流出させるきっかけを作った光晴。
光晴は菫からすぐに消すよう頼まれたものの、こっそり保存していました。
その画像が後に菫だけでなく、加害者である光晴自身も傷つけていきます。
この「さらさら流る」はリベンジポルノを受けた被害者の女性が再び前を向けるようになるまで、を描いた小説です。
それと同時に、リベンジポルノの加害者である男性が、事件を通して自身を見つめ直す話でもあります。
光晴がやったことは取り返しが付かないことで、けして許されることではありません。
わたしも、菫と同じことをされたら死んでも許さないでしょう。
光晴は自身の過ちを素直に反省します。
しかし、光晴には反省しつつも、自分を振った菫への優越感や嘲りといったものが隠せない、そんな愚かしさもあります。
加害者なのに、菫がもっと傷つけばいい、といった歪んだ感情が隠せない光晴は、最低な人間ですが、人間らしい人間でもあります。
それは、菫や菫の周りの人たちがあまりにも良い人たちだからかもしれません。
けれども、とても良い人である菫や菫の周りの人たちにも、他人には見せないだけで暗い感情が存在する。
光晴がそんな他人の暗部を見ようとしなかったせいで、この許せない事件が起こってしまったのだろうと思いました。
「さらさら流る」のテーマ『リベンジポルノ』について
「さらさら流る」のテーマは『リベンジポルノ』。
離婚した元配偶者や別れた元交際相手が、相手から拒否されたことの仕返しに、相手の裸の写真や動画など、相手が公開するつもりのない私的な性的画像を無断でネットの掲示板などに公開する行為のこと。
「さらさら流る」では、撮影した本人である光晴が画像を流出させたわけではありません。
しかし、消してと言われたにも関わらず、こっそり画像を保存していた光晴には相応の罰が下りました。
小説中にもありましたが、男性は無意識的に女性を自分の『所有物』だと思っているという考え。
光晴が「別れた恋人の裸の画像を大事に持っている」という行為は、まさに菫のことを『自分のもの』と思っている証拠だと思いました。
具体的なエピソードなども合わせて、加害者意識のない男性の恐ろしさをまざまざと思い知らされた感じです。
また小説では、リベンジポルノの被害者が、被害者であるにも関わらず自らお金を払って画像を消してもらわなければならない実態についても描いていました。
あまりにも理不尽です。
さらに、女性同士でもリベンジポルノの被害者に対する見解が違い、菫が傷つくという描写があります。
これは世代の違いもあるのでしょうが、わたしのような20代は物心ついたときには携帯電話が周りにあり、簡単に画像として残せるという世界でした。
しかし、30代以降はある程度成長してから携帯電話などが普及した世代です。
わたしたちのように撮られること・拡散されることが当たり前ではない世代の方たちにとっては、リベンジポルノは被害者の脇が甘いということで済ませられることなのかもしれないと思ってしまいました。
ただ、この「さらさら流る」のように、自己の防衛だけではどうにもならないというような状況はいくらでもあります。
「さらさら流る」は、そもそも『画像を撮り流出させる加害者が悪い』という原則すらも忘れさせそうな社会に鋭く切り込む小説でもありました。
リベンジポルノの罰則
リベンジポルノの加害者には、
- 公表罪
- 公表目的提供罪
という2つの罰則が下されます。
- 公表罪
- 第三者が撮影対象者を特定できる方法で、私事性的画像記録(物)を不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者
- 3年以下の懲役または50万円以下の罰金
- 公表目的提供罪
- 公表させる目的で、私事性的画像記録(物)を提供した者
- 1年以下の懲役または30万円以下の罰金
↑の「私事性的画像記録」とは
- 性交または性交類似行為に係わる人の姿態
- 他人が人の性器などを触る行為、または他人の性器などを触る行為に係わる人の姿態であって、性欲を興奮させまたは刺激するもの
- 衣服の全部または一部を点けない人の姿態であって、ことさらに人の性的な部位が露出されまたは強調されるものであり、かつ性欲を興奮させまたは刺激するもの
という3つのいずれかに当てはまる電子情報のことです。
「自分の体を取り戻す」ということ
自身の裸の画像を発見してから、ペディキュアを塗ったり、パフェを食べたりなど、今まで以上に自分を大切にするような行為をします。
それは、ネット上にばら撒かれ、不特定多数の人間の汚い視線に貶められた自らの体を取り戻す作業でした。
周りのサポートを受けながら、ゆっくりと本来の自分を取り戻す菫。
そして、最後に百合の絵画モデルを務め、完全に自分の体を取り戻したかの描写にはとても救われました。
菫にとっても、光晴にとっても希望があるラストには賛否があるかもしれません。
しかし、わたしは光晴の再生への希望が何より心が救われると感じました。
柚木麻子さんの小説「さらさら流る」の感想でした。