五十嵐大さんのノンフィクション小説「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」です。
タイトルで明かされていますが、五十嵐さんの両親は耳が聞こえない聴覚障害者です。
そんな聴覚に障害を持つ両親の元に生まれた『CODA(コーダ)』である著者の半生をありのままに綴った作品となっています。
リアルで生々しい、だからこそ胸を打つ、1人でも多くの人に読んで欲しいノンフィクションです。
- 作者:五十嵐大
- 対象:小学校高学年~
- やや精神的に辛い描写あり
- 2021年2月に幻冬舎より刊行
「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」あらすじ
「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」は五十嵐大さんのノンフィクション小説です。
まずは「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」のあらすじを掲載します。
「誰もが生きやすい世界は、いろんな境界線が混ざり合った世界だと思う」
幻冬舎「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」
耳の聴こえない両親から生まれた子供=「CODA」の著者が書く感涙の実録ノンフィクション!
この「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」は著者・五十嵐大さんの実体験を元にしたノンフィクション小説です。
小説の語り口調はフランクで親しみやすいため、とても読みやすかったです。
しかし、その親しみやすさが五十嵐さんの体験の生々しさを鮮明に写しだしていると感じました。
ノンフィクションだからこそ真に迫る描写は、読んでいるわたしにも苦しみを追体験させるかのようでした。
聴覚障害者の両親を持つという生い立ちから受けた差別。
その差別には露骨な悪意もあれば、善意から来る無意識的な差別もありました。
無意識的な差別は、おそらくわたしの中にもあるでしょう。
わたし自身が差別していない、とハッキリ言いきることは出来ません。
ただ、差別していると自覚することで、わたし自身の差別意識と向き合い考え直していくことができるのではないか。
この「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」を読み、そう考えることが出来ました。
幼少期から大人になった現在まで
「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」は、五十嵐大さんの幼少期から大人になった現在までをほぼ時系列順に書き記したノンフィクション小説です。
幼少期のエピソードで一番印象的だったのは、母親が『普通の人』とは違うのではないか、と自覚した場面でした。
そこからの五十嵐さんの苦しみや葛藤は、同じ体験をしていないわたしにも十分に共感できるものでした、
周りとの違いに苦しみ、両親のことをひた隠しにし続けた少年時代。
とにかく家族や地元と距離を置きたかった青年時代。
そして、両親のことを公開し、小説にすることで自らの過去と向き合っている現在の五十嵐さん。
どの五十嵐さんも人間味があふれていて、共感せずにはいられませんでした。
著者:五十嵐大について
「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」 の著者は五十嵐大さんという方です。
そんな五十嵐さんの経歴を掲載します。
五十嵐 大(いがらし・だい): 1983年、宮城県出身。高校卒業後、飲食店スタッフや販売員のアルバイトを経て、編集・ライター業界へ。2015年よりフリーライターに。自らの生い立ちを活かし、社会的マイノリティに焦点を当てた取材、インタビューを中心に活動する。
しくじり家族―Amazon.co.jp
↑の経歴はこの「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」でも順を追って明かされていきます。
普段はフリーライターとしてインタビューを行っていますが、2020年刊行の「しくじり家族」で作家デビューされました。
この「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」は2作目の著書となります。
『CODA(コーダ)』とは
「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」の著者・五十嵐大さんは『CODA(コーダ)』と呼ばれる存在です。
『CODA』とは『Chidren of Deaf Aduts』の略。
定義としては、両親のうち1人または2人が聴覚障害を持つ、自身は耳が聴こえる人となります。
自身は聞こえるものの
- 父親のみ
- 母親のみ
- 両親どちらも
の人たちに聴覚障害があれば、その子どもは『CODA』となるのですね。
『CODA』という言葉は1980年代にアメリカで生まれたもので、その後日本でも広がりました。
日本でも、1996年に『J-CODA(ジェーコーダ)』というコーダの当事者で作るボランティア団体が発足しています。
自身が『CODA』という存在であることを知り、世界が開けたと語っている五十嵐さん。
両親が聴覚障害を持つ子どもという存在は世界に自分1人しかいない。
誰も理解してくれないと絶望して苦しんでいた五十嵐さんは、自分と同じ境遇の仲間がいると知り「孤独ではない」「仲間がいる」と思えたとこの著書に記しています。
『CODA』という言葉自体がここ40年ほどで生まれ、広まった言葉です。
よって五十嵐さんが生まれた頃にはその存在に名前すら付いていませんでした。
しかし<聴覚障害の親を持つ聞こえる子ども>という存在に『CODA』という名前を付け、名前を広め、当事者同士で悩みを分かち合う活動をしている。
名前を付けてカテゴライズすることに眉をひそめる人もいるかもしれませんが、五十嵐さんのように安堵を感じる当事者も多くいるのでしょう。
また、この本を読み、かつての五十嵐さんのように今苦しんでいる人が救われるかもしれません。
したがって、五十嵐さんのような、苦しい過去を抱え、それでも乗り越えてきた当事者が体験を本に著すことはとても意味があることだと思いました。
この「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」は、わたしのように『CODA』の当事者ではない人間にも、当事者意識を持たせるパワーがあると感じました。
東京パラリンピックが注目された今こそ読んで欲しい1冊です。
↑の著書でも言及されている、ハフポストに掲載された五十嵐大さんの記事です。