古泉迦十さんのミステリー小説「火蛾」の感想です。
十二世紀の中東、連続殺人に巻き込まれたイスラーム教の若き行者の姿が描かれます。
神秘的なイスラーム世界でなぜ殺人が起きたのか。
エキゾチックな魅力があふれる別世界が描かれますが、とても読みやすい小説でした。
- 作者:古泉迦十(こいずみ・かじゅう)
- 対象:中学生~
- 性的な描写なし
- グロテスクな描写あり
- 2000年9月に講談社ノベルズより刊行
- 2023年5月に文庫化
- 第17回メフィスト賞・受賞作
「火蛾」について
「火蛾」は古泉迦十さんのミステリー小説です。
ミステリー好きにとって知る人ぞ知る!という傑作である「火蛾」。
しかし、単行本(講談社ノベルズ)が刊行されてから22年以上も文庫化されず、幻の傑作扱いされていた作品でもあります。
そんな「火蛾」が、2023年5月に突然文庫化。
前々から興味があったので、この機会に「火蛾」を購入し、早速読んでみました。
まずは、その話題作「火蛾」のあらすじを掲載します。
12世紀の中東。
火蛾―Amazon.co.jp
聖者たちの伝記記録編纂を志す詩人のファリードは、伝説の聖者の教派につらなるという男を訪ねる。
男が語ったのは、アリーという若き行者の《物語》──姿を顕さぬ導師と四人の修行者だけが住まう《山》の、
閉ざされた穹盧(きゆうろ)の中で起きた連続殺人だった!
未だかつて誰も目にしたことのない鮮麗な本格世界を展開する、第17回メフィスト賞受賞作がついに文庫化。
解説:佳多山大地
正直、全く内容を知らずに「火蛾」の購入を決意したので↑のあらすじを読んだときに躊躇しました。
冒頭の『十二世紀の中東。』という文章だけでハードルがそびえ立っています・・・。
この冒頭の十二世紀の中東という言葉通り、この「火蛾」は十二世紀の中東が舞台となるミステリー小説。
神秘的なイスラームの世界の中で、現実的な殺人事件が発生します。
十二世紀とはどんな時代?
「火蛾」の物語の舞台となる『十二世紀』は1101年から1200年までの100年間を指す言葉。
日本では平家が全盛を誇り、しかしその十二世紀の末期に源頼朝率いる源氏に滅ぼされ、鎌倉幕府が成立した頃となります。
ヨーロッパでは、キリスト教勢力によるイスラーム教圏への軍事活動・十字軍運動が起こっていた時期です。
そもそも「イスラーム教」とは?
イスラーム教とは『神(アッラー)は唯一にして、ムハンマドはその使徒である』ということを信じ、ムハンマドの言葉である『コーラン』を神の言葉と認める宗教のことです。
7世紀の初めにアラビアで成立し、その後西アジアで広がったとされています。
現在イスラーム教には約12億人もの信者がいるとされ、キリスト教に次ぐ第2位の信者衆を誇ります。
信者の主な分布は西アジアや中央アジア、アフリカ、東南アジア。
イスラーム教は教義に対する考え方の違いから分裂を繰り返し、現在でも多くの宗派に分かれています。
時代・宗教について分からなくても大丈夫?
十二世紀の中東、イスラーム世界が舞台となる「火蛾」。
ごく平凡な日本人のわたしからしたら、非常にとっつきにくい題材の小説でした。
しかし、読めました。
「火蛾」を読む前は『イスラーム教って名前くらいは・・・』程度の知識(今でも同じです)でしたし、十二世紀の中東に思いを馳せたことなど一度もありませんでしたが、ビックリするくらいすんなり読めました。
イスラーム教についても、中東についても、正直、事前に何の知識がなくても読めます。
小説内で詳しく説明してもらえますし、説明も分かりやすく、説明自体が面白かったです。
したがって『難しそう・・・』と手が出せないでいる方にも自信を持ってオススメできます。
わたし自身、イスラーム教のことを理解できているとは思いませんが、シンプルに面白かったです。
ちなみに、この「火蛾」が2000年の単行本発売から22年以上も文庫化されず、なぜか2023年に文庫化されました。
20年以上も文庫化されないという不遇。
しかし、なぜ今、文庫化されたというと、2作目となる新作が刊行を予定しているから!
いつ刊行されるのかは不明ですが、次回作が出るとのことで文庫化されたようです。
「火蛾」感想・あらすじ
「火蛾」の感想・あらすじです。
先が読めない入れ子構造ミステリー
「火蛾」は、詩人であるファリードが、アリーという男が話す『アリーという若い行者の話』を聞いている、というストーリーです。
物語の中で、物語が展開していく。
いわゆる入れ子構造のミステリーとなります。
アリーというのはイスラーム教圏において一般的な名前とのこと。
そのこともあり、アリーという話し手の男と、男が話すアリーという若い行者が同一人物かは当初は不明です。
アリーという若い行者の話は、巡礼に赴いたアリーが謎の導師・ハラカーニーにより、ある山へ導かれるというもの。
導師に言われるがままアリーは山で修行を始めようとしますが、その山に前からいた修行者たちが連続して殺害されてしまいます。
見晴らしが良く、狭い山にはアリーと先住の3人の修行者、そしてアリーを導いた導師しかいません。
誰が、いつ、どんな目的で修行者たちを殺害したのか。
現場の状況や導師の言葉からアリーが辿り着いた答えとは?というのが大まかなストーリーとなります。
冒頭でも説明しましたが「火蛾」は入れ子構造のミステリー。
小説内で、小説の登場人物が語る話によって物語が展開していきます。
この入れ子構造のストーリーにおいて難しいのが、ストーリーはあくまで語り手の『視点』から進んでいく点。
語り手の主観から物語が進んでいくので、けっこう信用できません。
どこまでが事実で、どこからがアリーの思い込みなのか。
そんなあやふやな部分がありつつも、アリーの目を通して感じられる世界の神秘性にどっぷり浸れるのは主観で描かれる小説の良さだと思いました。
ミステリーだけど、もはやジャンルは不問
「火蛾」はれっきとしたミステリーですが、型にはまったミステリーではありません。
ジャンルを問われればミステリーと答えますが、もはやジャンルの枠を超えた結末を見せるのが「火蛾」です。
前項にて、誰が、いつ、どんな目的で殺人を犯したのか、と書きましたが、ここでその犯人と動機を書いたとしても、おそらく意味が分からないと思います。
ネタバレをしてもネタバレにならない。
もうこの結末を理解するには「火蛾」を最初から読むしかありません。
「火蛾」の結末に関して、わたしが完全に理解できたとは思いません。
けれども、納得できたというか、腑に落ちたというか、とにかく、なぜか読後はスッキリした解放感に包まれました。
イスラーム教が題材という、何とも手が出しにくい小説ですが面白さは保証できます。
長さも程よく、一気読みできるくらいです。
むしろ、内容の細かい部分まで覚えていられるので一気読みがオススメです。
まさに『飛んで火に入る夏の虫』、飛び込んでみなければ何も始まりません。
ここまで「火蛾」の感想でした。