京極夏彦さんの小説「邪魅の雫(じゃみのしずく)」の感想です。
たった一滴で人を死に至らしめる雫を巡る連続殺人事件に憑物落とし・中禅寺秋彦が挑みます。
榎木津礼二郎の過去や、探偵見習いの益田&刑事・青木の活躍など、見所の多い長編9作目です。
- 作者:京極夏彦
- 対象:中学生から
- 性的な描写ほぼなし
- グロテスクな描写あまりない
- 2006年9月に講談社ノベルスより刊行
- 2009年6月に文庫化
- 百鬼夜行シリーズ・長編9作目
「邪魅の雫」について
「邪魅の雫(じゃみのしずく)」は京極夏彦さんのミステリー小説です。
探偵役である憑物落とし・中禅寺秋彦が登場する『百鬼夜行シリーズ』長編9作目。
神奈川県の大磯・平塚を舞台に、謎の毒を使った連続殺人事件に京極堂が挑みます。
まずは、そんな「邪魅の雫」のあらすじを掲載します。
毒殺の連鎖を断ち切る術はないのか。
京極堂、時間(とき)を作る。
シリーズ弟9弾江戸川、大磯で発見された毒殺死体。2つの事件に繋がりはないのか。小松川署に勤務する青木は、独自の調査を始めた。一方、元刑事の益田は、榎木津礼二郎と毒殺事件の被害者との関係を、榎木津の従兄弟・今出川から知らされる。警察の捜査が難航する中、ついにあの男が立ちあがる。百鬼夜行シリーズ第9弾。
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「邪魅の雫」は長編5作目「絡新婦の理」に次ぐページ数であり、その長さは1300ページ超え。
【ネタバレなし】「邪魅の雫」感想・あらすじ
「邪魅の雫」のネタバレなし感想・あらすじです。
主役は榎木津礼二郎?
「邪魅の雫」は榎木津礼二郎を中心として物語が進む、ある意味、榎木津礼二郎が主役のお話となります。
しかし、その肝心の榎木津礼二郎はほとんど出番がありません。
後半になるまで、登場がほぼなし。
それでも、榎木津礼二郎の存在感は圧倒的でした。
いつものふざけた感じも封印し、ただただカッコいい探偵になっているのも見所です。
また、この「邪魅の雫」では榎木津礼二郎の知られざる過去も明らかになっていきます。
榎木津ファンは必見です。
さらに、榎木津礼二郎を中心として、その下僕・益田や刑事・青木という2者も大活躍するのが「邪魅の雫」の特徴。
そのほか、神奈川県警から長編2作目に登場する石井、長編4作目「鉄鼠の檻」に登場する山下なども再登場。
時系列的に「邪魅の雫」の直前に当たる長編8作目「陰摩羅鬼の瑕」の大鷹も再登場するなど、シリーズファンには堪らない展開となっています。
ただ、大鷹が語りの章は、もちろん意図的でしょうが、読んでいて頭がおかしくなりそうでした。
支離滅裂な他人の思考を注がれている感覚で、他の章ではそんなことは思わなかったのに、大鷹の章だけ気持ち悪さを感じました。
刑事ものミステリーのような展開に
「邪魅の雫」はシリーズの中でも刑事ものミステリー要素が強い長編となっています。
操作の様子や状況が事細かに記され、警視庁と神奈川県警、さらに所轄とのいざこざなど、刑事ものの定番が続きます。
その分、妖怪系の話は少なめなのが特徴でしょう。
妖怪の代わりに昔話・お伽噺や世間話、伝説などについての言及がありました。
事件と全然関係ないところから、事件へつながっていく。
その謎解きの様子はやはり変わっていません。
嘘に嘘を重ねて
「邪魅の雫」のストーリーは複数の語り手により構成されていて、多角的に事件が描かれていきます。
しかし、語り手により、事件やキャラクターの関係性が微妙に違うのが肝。
同じ名前の登場人物なのに、境遇が微妙に異なる。
全然違うわけではなく、80%ほどは同じでも、20%ほど決定的に違う、という感じです。
そんなパターンが数種類あり、最初の方は混乱してしまいました。
ただ、最後まで読めば、その理由や仕組みが分かるので安心?です。
同じ名前の人間の話なのに、境遇が微妙に異なる。
それは誰かが嘘をついているから。
誰が、何のために、どんな嘘をついているのか。
それが分かったとき、この「邪魅の雫」は終わります。
登場人物が多く、事件も複雑ですが、動機が共感しやすいので、ラストシーンの美しさが際立っていました。
ここまで「邪魅の雫」のネタバレなし感想でした。
1300ページ超えの大長編で、登場人物が多いため、読むときは軽くメモを取っておくと便利です。
↓にはネタバレ有りで「邪魅の雫」の感想を書いています。
ここからはネタバレ有り「邪魅の雫」の感想です。
未読の方はご注意ください。
【ネタバレ有り】「邪魅の雫」の事件を時系列でまとめ
「邪魅の雫」の連続殺人事件を時系列でまとめました。
日付は遺体発見時のものとなります。
間違っている箇所もあるかもしれません。ご了承ください。
- 8月20日澤井
来宮小百合によって殺害される
- 8月27日来宮小百合
江藤によって殺害される
- 9月5日真壁恵(本当は宇津木実菜)
赤城によって殺害される
- 9月11日赤木
江藤によって殺害される
- 9月12日江藤
大鷹によって殺害される
- 9月12日大鷹
画家・西田新造によって殺害される
こうしてみると、1カ月以内に6件もの殺人事件が起きてるのですね。
スパンが短すぎる・・・。
また、この直前には榎木津礼二郎が主役の短編集「百鬼徒然袋―雨」に収録された2作目の短編『瓶長 薔薇十字探偵社の鬱憤』が起こっています。
そして「邪魅の雫」の少し後には同小説収録の3作目の短編『山嵐 薔薇十字探偵社の憤慨』が発生。
さらに、榎木津が主役の短編集第2弾である「百鬼徒然袋―風」でちょっとしたキーアイテムとなった益田の鞭は、この「邪魅の雫」で購入したものでした。
こうした『百鬼夜行シリーズ』の他作品とのつながりを感じるのもシリーズファンとしては嬉しいポイントですね。
「邪魅の雫」の黒幕について
「邪魅の雫」の黒幕は、かつて榎木津礼二郎と交際していた神崎宏美という女性でした。
榎木津と宏美は戦前に交際していたものの、戦後の混乱で破局。
この事件に至るまで、2人が再会することはありませんでした。
2人が何らかの形で再会を果たしていたら、この事件は起こらなかったのだと思うと切ないです。
ただ、神崎宏美は直接的な加害者ではなく、当初は被害者でした。
また、事件に積極的に関わるようになってからも、彼女が行ったことは嘘をついたことだけ。
直接的に手を下さず、周囲で事件が起こっていくというのは長編5作目「絡新婦の理」と同じよう。
しかし、決定的に違うのは、最初は本人に事件を起こす気がなく、最初の被害者・澤井以外の人物に対しては悪意もなかったことでしょうか。
蜘蛛の巣のように計画が張り巡らされていた「絡新婦の理」とは違います。
誰かを守るため、辻褄を合わせるために嘘をつき続けた結果、悪意が芽生え、なるように身を任せていった。
その結果、たくさんの人が亡くなり、たくさんの人が手を血で汚す結果となったものの、神崎宏美本人に裁ける罪はありません。
ラストシーンでは彼女にとって最も辛い罰が与えられることで、物語が幕を閉じます。
この幕引きには読後しばらく酔いしれる美しさがありました。