京極夏彦さんの短編小説「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」の感想です。
『百鬼夜行シリーズ』でおなじみの妖怪研究家・多々良勝五郎が主人公の連作ミステリー。
相棒・沼上との珍道中がとにかく可笑しい、しかししっかりミステリーなのが特徴です。
- 作者:京極夏彦
- 対象:中学生~
- 性的な描写ほぼなし
- グロテスクな描写ややあり
- 2001年11月に講談社ノベルスより刊行
- 2006年に文庫化
「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」について
「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」は京極夏彦さんの連作短編ミステリーです。
この「今昔続百鬼 雲」の主人公は『百鬼夜行シリーズ』にも登場する妖怪研究家・多々良勝五郎。
妖怪が好きで好きで仕方がない多々良先生と、同じく妖怪好きな旅の同行者で語り手でもある沼上蓮次。
そんな2人の珍道中が描かれた4つの短編が収録されています。
※短編といっても、1話あたり150~250ページほどなので中編集の方が正しいかもしれません。
まずは、そんな「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」のあらすじを掲載します。
「あなたーー妖怪お好きですか」。その男は真顔で尋ねる。これぞ多々良勝五郎(たたらかつごろう)大先生。人の迷惑顧みず、怪異求めて六十余州を西東。河童に噛み殺された男、物忌みの村を徘徊する怪人、絶対負けない賭博師、即身仏の神隠し……。センセイの行くところ、およそ信じがたい出来事ばかり待つ。して、その顛末は?
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「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」は『百鬼夜行シリーズ』における3作目の短編集として刊行されました。
この「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」が刊行される前に、長編7作と短編2作が刊行されています。
ただ、この「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」は『百鬼夜行シリーズ』を知らなくてもOKな珍しい短編集でもあります。
なぜなら「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」は、シリーズの時系列より前を描いたストーリーだから。
舞台は昭和25~26年。
※ただし、旅先での事件を思い返している沼上は昭和28年にいます。
『百鬼夜行シリーズ』の1作目「姑獲鳥の夏」は昭和27年の夏となっています。
つまり『百鬼夜行シリーズ』で描かれる事件はまだ起きていないため、ネタバレの心配なく読めるのです。
ただ、もちろんですが既刊シリーズを読んでいた方が楽しめると思います。
『百鬼夜行シリーズ』とは毛色が違う?
「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」は、これまでの『百鬼夜行シリーズ』とは毛色が違うミステリーでした。
どちらかと言えば、淡々と人間の暗部を映し出すのがこれまでの『百鬼夜行シリーズ』の印象。
しかし、この「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」はドタバタ&コメディ要素多めで、旅行記風のミステリーです。
多々良先生とその相棒・沼上が旅先で事件に巻き込まれつつも、その事件を何だかんだで解決していく。
というのが「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」のストーリーとなります。
探偵が出てくるミステリーの定番フォーマットですね。
けれど、この「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」の探偵役である多々良先生は別に推理するわけではないのが変なところ。
ただただ妖怪について語っているだけでなぜか事件が解決していくという、謎の展開となっています。
それでも、ずっと面白かったです。
難しいトリックがなく、人間関係のもつれから起こる事件、人間の闇を描いた事件を、ドッタンバッタンと解決していく様を堪能できます。
多々良先生と沼上について
「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」の主要人物は妖怪研究家・多々良先生とその相棒・沼上の2人。
そのうち多々良先生の初登場は『百鬼夜行シリーズ』のうち長編6作目の「塗仏の宴 宴の支度」。
そのときの印象は、妖怪よりも怪しい謎の人物、といったもの。
しかし、この「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」よりも遥かに常識人な印象でした。
伝説巡りに赴いていなかったからでしょうか?
また、多々良先生の相棒である沼上はこの「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」が初登場。
シリーズを通してみても、なかなかにまともな位置にいる人物でした、沼上は。
ただやはり、妖怪の伝説巡りに精を出しているだけあり、相当に変人ではありますが、話は通じそうです。
沼上よりも遥かに様子がおかしい多々良先生が隣にいるので、対比でとてもまともに見えているだけかもしれませんが。
変人×すこしまともな変人だけでは話が滞るため、途中からヒロインとも言える常識人ポジションに富美という少女も参加。
彼女の登場により、話の展開も場面も清らな空気が流れていました。
「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」各話感想・あらすじ
「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」の各話感想・あらすじです。
岸涯小僧(がんぎこぞう)
『岸涯小僧』は太平洋戦争の爪痕が色濃く残る昭和25(1950)年の初夏、山梨が舞台となります。
ちなみに、沼上は昭和25年を3年前と言っているため、事件を思い返している沼上は昭和28年にいることが分かります。
『岸涯小僧』では、多々良先生と沼上の出会いから戦争で散り散りになった後の感動?の再会が描かれています。
基本的にコメディタッチですが、戦争による影響が節々に感じられるのが少し辛かったです。
そして、日本各地に残る妖怪の伝説を巡る旅へ赴く2人。
旅先でちょっとしたことから喧嘩をし、山奥だったので軽く死にかけます。
後の短編でも、ずっとそんな感じで喧嘩をし、死にかけます。
そんなこんなで山奥の集落に必死の思いで辿り着き、夜中にたまたま門を叩いた家が素封家のお化け愛好老人・村木作左衛門の家であったことで2人は窮地を脱します。
けれども、翌朝、村木老人の旧知の人物が遺体となって発見され、またもや2人は窮地に追い込まれることに。
一難去ってまた一難とはまさにこのこと。
どうして、どのように殺害されたのか?
意外な結末が面白い1作目です。
村木老人の幼女である富美が初登場します。
泥田坊(どろたぼう)
『泥田坊』は昭和26年2月初旬の長野が舞台となります。
相変わらず喧嘩ばかりし、真冬の山中で死にかけていた多々良先生と沼上。
無茶すぎる行程の弾丸旅行の恐ろしさを感じます。
2人は何とか山間部の集落に辿り着きますが、村には人気がなく、不気味なほどに静まりかえっていました。
そんな静かな村を、何かを叫びながら、踊るようにフラフラと歩く黒い人物。
何軒も居留守を使われた後、一軒が何とか2人を受け入れ、九死に一生を得ます。
推量をしていたものの、村はコト八日の物忌み中だったため出歩く者がいなかったとのこと。
それでは、家に入る前に見かけた黒い不審人物は何だったのか?
そして、翌日の朝、村人の遺体が発見されます。
物忌み中にのこのこ現れた部外者2人は当然疑われます。
しかし、多々良先生の妖怪好きが高じ、なぜか犯人逮捕に協力するというストーリー。
この『泥田坊』はもっともミステリーらしいミステリーと言えました。
手の目(てのめ)
『泥田坊』の後、なぜか富美も加えて旅を続ける多々良先生と沼上。
雪が降りしきる真冬の群馬の山奥で足止めを食らい、成り行きで村の旧知に巻き込まれます。
今度は殺人事件ではなく、ギャンブルがテーマ。
ありとあらゆるギャンブルのいかさまが披露され、ギャンブル経験がないのに詳しくなってしまいます。
負けたらすっからかん。
沼上は一世一代のギャンブル勝負に勝てるのでしょうか?
この3作目までは戦後の混乱と、田舎の再開発がテーマの1つでもありました。
貧しい時代、貧しい土地で持ち上がった再開発の計画。
大きなお金が動き、村中が翻弄される中で起こる悲劇。
結末はいずれも切ないものでしたが、人情ものとして読み応えがあります。
多々良先生は基本的に妖怪についてペラペラ語っているだけですが、それが人々の救いとなっていきます。
結果的に、なぜか心が温まる話に収まっているのが面白かったです。
古庫裏婆(こくりばばあ)
『古庫裏婆』は昭和26年の秋、山形が舞台。
その年の夏に東京で見かけた即身仏がきっかけで、山形を訪れました。
またしても喧嘩をしつつ、木賃宿へ泊まることになった多々良先生と沼上。
宿の相部屋で、神隠しについて相談をする2人連れに出会い、多々良先生は大興奮。
そのうえ、神隠しにおける説明を滔々と始めるのでより大喜びです。
妖怪について淡々と、しかしあまりにも流ちょうに語る黒衣の古本屋。
この時点でシリーズを読んでいる方なら誰もが思い浮かぶあの男・中禅寺秋彦が登場します。
中禅寺の登場により、途端に「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」は『百鬼夜行シリーズ』になります。
圧倒的、主人公オーラです。
その後、荷物を盗まれ一文無しになり、食事の施しが受けられるというウワサの宿坊へいく2人。
なぜか、シリーズの常連である解剖大好き医師・里村が即身仏を解剖したりします。
作中で何度も言われていますが、即身仏の解剖って、とんでもなく罰当たりですよね。
そんなこんなで多々良先生と沼上は言葉通り、本当に死にかけるのですが、すんでの所で助かります。
即身仏(ミイラ)の謎、怪しさ満点の宿坊の正体など、全てが繋がっていく謎解きはやはり中禅寺秋彦にしかできません。
結末というか、犯人の動機がそこまで突飛ではなく、ありそうに感じてしまうのが一番怖かったです。
多々良先生と中禅寺秋彦の出会いによって終わるのがこの「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」の特徴。
無類の妖怪好きが出会ってしまったのは、まさに運命ですね。
読んでいると、妖怪って面白いなと思えます。
ここまで「今昔続百鬼 雲~多々良先生行状記~」の感想でした。