窪美澄さんの小説「晴天の迷いクジラ」の感想です。
生きているのは大変だな、と思っている時に読むと前を向くきっかけになる小説だと思います。
ただ展開があまりにも過酷なので、心が疲れ切っている場合には劇薬過ぎて避けた方が良さそうです。
静かに胸に染み入る、この「晴天の迷いクジラ」はそんな小説でした。
- 作者:窪美澄
- 対象:中学生以上
- 性的な描写あり
- グロテスクな描写もややあり
- 2012年2月に新潮社より刊行
- 2014年6月に文庫化
- 2013年本屋大賞・第6位
- 第3回山田風太郎賞・受賞
「晴天の迷いクジラ」あらすじ
「晴天の迷いクジラ」は窪美澄さんの小説です。
全4章からなる連作短編集で、窪美澄さんの2作目の著書となります。
2作目なのですが、2作目とは思えないほどに非常に読み応えがありました。
そんな「晴天の迷いクジラ」のあらすじを掲載します。
デザイン会社に勤める由人は、失恋と激務でうつを発症した。社長の野乃花は、潰れゆく会社とともに人生を終わらせる決意をした。死を選ぶ前にと、湾に迷い込んだクジラを見に南の半島へ向かった二人は、道中、女子高生の正子を拾う。母との関係で心を壊した彼女もまた、生きることを止めようとしていた――。苛烈な生と、その果ての希望を鮮やかに描き出す長編。山田風太郎賞受賞作。
晴天の迷いクジラ―Amazon.co.jp
↑のあらすじを読んでも分かりますが、この「晴天の迷いクジラ」は全然明るい話ではありません。
タイトルから、勝手に「さわやかな青春ものなのだろう」と思い手に取ったもので、そのあまりの辛さに衝撃を受けた次第でした。
とにかく全編を通して精神的にしんどい話です。
心の準備をしてから読むことをオススメするレベルです。
今現在、精神的に参っている方には読むことをオススメしません。元気になってから読んだ方が良いです。
しかし、ラストには希望も見えるので救いがないわけではないです。
ただその救いのラストまでに長く苦しい道のりが続きます。
最後まで読んだ後に見える景色は清々しく、勇気をもらえる話でした。
けれども、そこまでがキツすぎるので、読む際は万全の心構えを忘れずにしてください。
と、ここまでネガティブなことを書いてしまいましたが、わたし自身はこの「晴天の迷いクジラ」はとても好きです。
窪美澄さんのデビュー作である「ふがいない僕は空を見た」は狭い世界の話でしたが、その次作「晴天の迷いクジラ」は広い世界の話といった印象です。
家族や出産など共通のテーマを狭い世界・広い世界の2つから書き出す、という風に感じました。
「ふがいない僕は空を見た」もオススメですが、今回は「晴天の迷いクジラ」をご紹介します。
↓では各章ごとにあらすじと感想をまとめます。
「晴天の迷いクジラ」各章のあらすじ&感想
「晴天の迷いクジラ」は全4章で連作です。
はじめの3章までは主人公が違い、4章目で3人の主人公たちの話が1つに交わっていきます。
Ⅰ ソラナックスルボックス
主人公はデザイン会社でデザイナーとして働く田宮由人(たみや・ゆうと)。
25歳になる年、由人にとって身も心もボロボロになるような「ショッキングな出来事」が次々と襲いかかります。
怒濤の勢いで由人に不幸が襲いかかってくるさまは、読んでいて呆然とするほどショッキングです。
ただ、不幸の描写は目の前で繰り広げられているようなリアリティがありました。
また由人にはどこにも逃げ場がないことが示唆されているのも、由人の不幸を際立たせている要素。
逃げ場がなく、しがみつくしかないのが地獄のような環境だった。
そんな過酷な現状が今の日本の姿なのかと思うとゾッとします。
この小説は2012年刊行ですが、9年経って働き方改革も実施され、多少は良くなっていると信じたいです。
ちなみに、タイトルの『ソラナックスルボックス』は、それぞれ『ソラナックス』『ルボックス』という名前の薬で、いわゆる精神安定剤です。
『ソラナックス』の説明↓
気持ちを落ち着かせ、不安や緊張をやわらげ、ゆううつな気分を改善させるベンゾジアゼピン系薬剤です。
くすりのしおり
通常、心身症(胃・十二指腸潰瘍、過敏性腸症候群、自律神経失調症)における身体症候ならびに不安・緊張・抑うつ・睡眠障害の治療に用いられます。
『ルボックス』の説明↓
脳内のセロトニンの取り込みを阻害することにより、ゆううつな気持ちや落ち込んでいる気分を和らげます。
くすりのしおり
通常、成人ではうつ病・うつ状態、強迫性障害、社会不安障害の治療に、小児では強迫性障害の治療に用いられます。
とことん追い詰められた由人にとっての唯一の救いはこの『ソラナックスルボックス』のみ。
おかしい、間違っている、と思いながらも薬に頼るしかなくなっていく由人。
その恐ろしさが淡々と描かれていて辛かったです。
Ⅱ 表現型の可塑性
主人公は1章の主人公・由人が勤めるデザイン会社の社長・中島野乃花。
1章では年齢も性別も不詳の恐ろしい人物、として描かれていた野乃花の生い立ちが明かされます。
2章冒頭の「魚のにおいが、するわよ」という、その一言が後を引く話でした。
たった一言なのに、破壊力が強すぎる言葉です。
わたしは海なし県育ちなので、海は旅行でしか行ったことがありません。
しかし、読んでいて文章から魚の生臭さが匂い立つような感覚でした。
また、ストーリー的には『一昔前のよくある田舎の話』なのかもしれません。
ドロドロしている田舎の嫌らしさみたいなもので心臓がザラつく話でした。
余談ですが、野乃花の人生を狂わせるきっかけとなる美術講師・英則がなぜあそこまでモテるのかが不可解でなりませんでした。
英則に執着する少女の気が知れない、と読みながら思っていたのですが、恋は盲目なのか、ただただ野乃花から奪いたいだけなのか、どちらにしても気持ち悪いと思いました。
Ⅲ ソーダアイスの夏休み
3章の主人公は、1・2章にまったく登場しない篠田正子という少女です。
『正子』という古風な名前から野乃花のように少女時代を思い返しているのかと思いきや、まだ16歳の少女でした。
個人的にはこの3章が一番辛い話でした。
赤ちゃんの時に亡くなった姉と、姉の死をきっかけに変貌した母親、母親の自由にさせる忙しい父親。
正子が生まれる前に姉は亡くなっているので、正子は普通に優しい母親をまったく知らずに育ちました。
明らかに過干渉すぎる母親。
端から見れば異常ですが「心配だから」という魔法の言葉で正子を縛り続ける、典型的な毒親と言えます。
状況が違えど、1章に登場する由人の母親と通じる部分があり鬱々とした展開が続きます。
そんな正子の状況を明るい方向へ変えていく双子の存在がまぶしく、しかしだからこそ待ち受ける別れが残酷でした。
Ⅳ 迷いクジラのいる夕景
由人・野乃花、そしてたまたま出会った正子の3人は田舎の漁港町に迷い込んだクジラを見に行くことに。
そこで3人は自身の問題と静かに向き合い、答えを出すことになります。
3人が出した「答え」は、これから先も困難があるけど前に進んでいけるのではないか、そう思える晴れやかなものでした。
辛い展開が続く小説でしたが、ラストに心が救われる話でもありました。
今、生きることに悩みを抱えている方にオススメしたい小説でもあります。
ただ、やはり読んでいてキツかったです。
暗い鬱々とした小説ですが、窪美澄さんの淡々とした文章は読みやすく、スッと心に染みます。
読むのが大変だったけど、読んで良かったと思える、「晴天の迷いクジラ」はそんな小説でした。
↓では【ネタバレあり】の感想を書いていきます。
【ネタバレあり】「晴天の迷いクジラ」感想
「晴天の迷いクジラ」の感想を物語の重要なネタバレも含めて書いていきます。
『母と子』
「晴天の迷いクジラ」は『母と子』の話でした。
由人・正子はそれぞれ自身の母親と確執がありました。
また、野乃花は母親との関係はそこそこ(あまり良いとは言えない)でしたが、自分の娘を捨てて逃げたという過去を持っていました。
そして、4章では野乃花が由人・正子の母親のふりをして生活をします。
その偽物の母と子どもたちという関係だけが、この「晴天の迷いクジラ」に登場する家族の中で一番幸せそうで、やるせなさを感じました。
遺していく者と遺された者
4章では、クジラを見に来た3人が雅晴とその祖母という2人と出会います。
普段は明るく振る舞っている雅晴は1年前に妹を自殺で亡くし、そのことをずっと負い目に感じていました。
そして、雅晴の祖母も戦時中に親友を失ったことでずっと悲しみを抱き生きていました。
雅晴とその祖母は『遺された者』、クジラを見に来た3人は自ら死を考えている『遺していく者』。
4章ではそんな対照的な2組の人間たちが浜に迷い込んだクジラを介して出会い、同じ屋根の下で共に生活する姿が描かれます。
浜に迷い込んだクジラは耳が聞こえない。
耳が聞こえないクジラは海で生きていけない。
ただ、死ぬのを待っているとも言える。
死ぬつもりだった3人と自分が死ぬのを待っているクジラ。
タイトルの「迷いクジラ」は3人の姿そのものであったのだと思いました。
「晴天」には明るいイメージがあるので、そのまま明るい未来を表しているのかと単純に思ってしまいます。
ただ「晴天の迷いクジラ」では、昼の晴天よりも夜の星が輝く晴天の方が印象深く残りました。
いずれにしても、夜の晴天でも星を見つけて前に進んで行けたらいい。
そんなことを勝手に思いました。