原田マハさんの小説「ジヴェルニーの食卓」の感想です。
4人の印象派の画家マティス・ドガ・セザンヌ・モネの姿を、その画家たちの近くにいた女性の視点から描いたアート小説の意欲作です。
美しい絵画が誕生した裏に秘められたエピソードが原田マハさんの文章によって描かれています。
収録作にまつわる作品のうち掲載できるものは画像を用意したので「ジヴェルニーの食卓」とともにお楽しみください。
- 作者:原田マハ
- 対象:小学校高学年~
- エログロ描写なし
- 2013年3月に集英社より刊行
- 2015年6月に文庫化
「ジヴェルニーの食卓」あらすじ
「ジヴェルニーの食卓」は原田マハさんのアート小説です。
原田マハさんが初めて書いたアート小説集でもあるのがこの「ジヴェルニーの食卓」の特徴。
初出は2009~2012年までの小説「すばる」でした。
原田マハさんのブレイク作となった「楽園のカンヴァス」(2012)よりも先に書かれた作品だったのですね。(読み終わった後に気付きました)
1800年代後半~1900年代前半の時代を舞台に、印象派画家の姿を描いたストーリーとなっています。
この「ジヴェルニーの食卓」には4つの短編が収録されていて、各話で登場人物が異なるのが特徴です。
そんな「ジヴェルニーの食卓」のあらすじを掲載します。
印象派の巨匠4人の美の謎を色鮮やかに描き出した短編集。
モネ、マティス、ドガ、セザンヌという4人の印象派の巨匠たちの、創作の秘密と人生を鮮やかに切り取った短編集。ジヴェルニーに移り住み、青空の下で庭の風景を描き続けたクロード・モネ。その傍には義理の娘、ブランシュがいた。身を持ち崩したパトロン一家を引き取り、制作を続けた彼の目には何が映っていたのか。(「ジヴェルニーの食卓」)
語り手は画家の身近にいた女性たち。美術史や評伝から見えてこない画家の素顔や心情が、キュレーターの経験がある作家の想像力によって色鮮やかによみがえる。
ジヴェルニーの食卓―Amazon.co.jp
あらすじが非常に分かりやすいので、正直これ以上に詳しく書ける自信がないです・・・。
ただ、↑のあらすじにあるように、この「ジヴェルニーの食卓」は印象派の画家を画家のそばにいた女性の視点で描く物語。
この『画家のそばにいた女性』が恋人や妻ではないところが1つのポイントかもしれません。
「ジヴェルニーの食卓」各話まとめ
「ジヴェルニーの食卓」の各話の登場人物と簡単なストーリーをまとめてみます。
うつくしい墓 La belle tombe
「うつくしい墓 La belle tombe」はアンリ=マティスの晩年を描いたお話です。
語り手は、マティスの晩年にマティスの部屋でメイドをしていたマリアという女性。
年を取ったマリアが、マティスの取材に来た記者に昔話を語っているという風に物語は展開していきます。
物語にはマティスと交流のあったパブロ=ピカソも登場。
マティスとピカソの不思議な関係を若いメイドの目を通して描いています。
このお話に登場するのは絵画『マグノリアのある静物』。
エトワール L’ etoile
「エトワール L’ etoile」はエドガー=ドガをメアリー=カサットの視点から描いたお話です。
いずれも写実主義的な印象派の画家で、カサットはドガから多大な影響を受けた画家として知られています。
このお話に登場するのは『14歳の小さな踊り子』という彫刻作品。
その『14歳の小さな踊り子』 のモデルとなった少女とドガの関係、そしてドガの死後についてが描かれています。
ドガにとって生前に唯一発表された彫刻作品であるこの『14歳の小さな踊り子』。
当時は「気色が悪い」や「醜い」など散々な言われようでした。
たしかに、純粋にキレイという感じではなく、今にも動き出しそうなほどリアル、しかし生々しいとも思えるような彫刻ですよね。
ちなみに、タイトルの「エトワール」はバレエ団の主役で『星』という意味。
読み終えた後に「エトワール」というタイトルが重くのしかかるような話でもありました。
タンギー爺さん Le Pere Tanguy
「タンギー爺さん」はジュリアン=タンギーの娘がポール=セザンヌに宛てて書いた手紙という形式のお話です。
このジュリアン=タンギーとは、ヴィンセント=ファン=ゴッホが描いた絵画「タンギー爺さん」のモデルとなった人物。
画材屋を営んでいたタンギーは、売れない画家たちに絵の具のお金代わりに描いた絵を引き取るなど、特に印象派の画家を中心に支援していました。
この『タンギー爺さん』も、ゴッホが絵の具代としてタンギーに贈ったものでした。
ゴッホの作品の中でも有名な作品ですよね。
ちなみに、ゴッホはこの『タンギー爺さん』の他にジュリアン=タンギーの肖像画を2枚、計3枚も描いています。
そのエピソードからもゴッホとタンギーの親交の深さが伝わりますが、タンギーはゴッホの葬式に出席した数少ない参列者の1人でもあり、ゴッホの死後も彼の絵を展示し続けたとのこと。
印象派の画家をサポートし続け、世界中の絵画の中でも特に有名な作品である『タンギー爺さん』のモデルになるなんて、とことんアートを愛し続けた人生だったことが分かりますね。
ジヴェルニーの食卓 Une table de Giverny
「ジヴェルニーの食卓 Une table de Giverny 」は、クロード=モネの晩年をその義理の娘・ブランシュの視点から描いたお話です。
本の表紙に使われている絵画「睡蓮」の誕生にまつわるエピソード、そしてブランシュがモネと出会った少女時代の2つの時代が書かれています。
※ちなみに、単行本では「睡蓮<2本の柳>」、文庫版では「睡蓮<雲>」が使われています。↑の絵画は「睡蓮<雲>」です。
調べたところ、語り手でもあるブランシュはモネの助手のかたわら画家としても活動していました。
そして、モネの死後はこの「ジヴェルニーの食卓」の舞台となったジヴェルニーの家と庭を亡くなるまで管理し続けたのことです。
母親の再婚相手であり、義理の娘(モネの息子・ジャンと結婚したため)でもあったモネとの関係は、独特ながらも強固な信頼関係で結ばれていたのですね。
また、わたし個人としては、書かれているのは一部ではありますが、モネのドラマティックな人生も読んでいて面白かったです。
クロード=モネは「美しき愚か者たちのタブロー」という原田マハさんの作品にも登場します。
この小説に登場したのは同じ連作ではありますが「睡蓮、柳の反映」という作品でした。
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印象派の画家たちの素顔を垣間見る
「ジヴェルニーの食卓」は印象派の画家たちの素顔、日常のありのままの姿を垣間見るような小説でした。
教科書などでも見かける絵の作者がどうしてこの絵を描いたのか、どんな思いで描いたのか。
読むと画家たちも1人の人間で、いろいろ悩みや葛藤を抱えていたのだなと親しみを感じました。
『印象のままに描いた』と酷評されたことが名前の由来となった「印象派」。
そんな印象派の画家たちの絵画のみずみずしさのように、原田マハさんの文章も鮮やかで、読んでいて情景が浮かぶような小説でした。